本事例は、35歳の建設会社勤務の男性、田中さん(仮名)のケースです。田中さんは、幼少期から「顔が変だ」「ぼーっとしている」とからかわれることが多く、自尊心の低い青年期を過ごしました。彼の顔は、典型的なFASの特徴を有しており、特に小さな目(短眼裂)と、平らな鼻筋、そして非常に薄い上唇が顕著でした。成人してからも、その「幼く見える顔」のせいで仕事現場で若造扱いされたり、威圧的な態度を取られたりすることに悩み、強い対人恐怖症を抱えていました。田中さんが当院を受診したのは、職場での人間関係のトラブルから適応障害を患ったことがきっかけでした。身体診察において、精神科医は彼の特有の顔貌に注目しました。改めて詳細な聞き取りを行ったところ、田中さんは養子として育てられており、生みの親が重度のアルコール依存症であった事実が判明しました。これにより、彼は「胎児性アルコールスペクトラム障害(FASD)」の成人例として診断されました。田中さんの事例で特筆すべきは、診断後の心理的変容です。彼は自分の顔の造作を「不運な遺伝の失敗」と捉えていましたが、医師から「これは、お腹の中でアルコールという猛毒にさらされながら、あなたの脳と身体が生き延びるために適応しようとした結果、形作られた英雄の相(かお)です」と言葉をかけられました。この言葉が、彼の自己認識を根底から覆しました。彼は自分の顔を「醜いもの」から「生存の証」へと定義し直したのです。具体的処置として、田中さんはまず身だしなみの整え方から変えました。清潔感のある髪型にし、あえて眼鏡をかけて目の小ささをカバーしつつ、知的な印象を与えるスタイルを確立しました。また、言語療法の一環として、口角を上げるトレーニングを行い、薄い上唇でも柔らかい表情が作れるよう練習を重ねました。結果として、田中さんは職場に復帰し、今では「冷静で沈着なベテラン」として信頼を集めています。彼の顔貌の特徴は消えたわけではありませんが、彼自身がその特徴を「自分の物語の一部」として誇りを持って引き受けたことで、周囲の反応も劇的に変わったのです。本症例は、大人のFAS当事者にとって、診断という「正体を知ること」がいかに自尊心の回復に直結するか、そして顔という物理的な記号をどのように精神的に昇華させていくべきかを示す、極めて示唆に富むモデルケースとなっています。